船頭は誰だ [ 日本代表 ]
サポティスタでも紹介されていた、朝日新聞掲載の中澤インタビュー。
中澤はドイツW杯を振り返って次のように述懐している。
あのW杯から、今後の日本代表にフィードバックできることの一つは、その人の言うことはみんなが耳を貸せるような人望のある選手が、チームには必要だということ。私の推測だが、おそらく中澤は、意図的に焦点を微妙にずらして発言している。
「その人の言うことはみんなが耳を貸せるような人望のある選手」の部分である。
当ブログでジーコ監督時代の代表についての記事を読まれて来られた方ならもう察しがついたかも知れない。
この場合「その人の言うことはみんなが耳を貸せるような」人というのはすなわち監督のことである。
ベスト4だなんだというチームとしての目標はともかく、
「おれとしてはこうやりたい」「おれが出ればこうやる」という、少なくとも戦術レベルの話ならば、
方向性の決定付けを行えるのは監督しかいない。
それが監督の第一の責務であり、ある特定の選手にその責任を押し付けてはならないのだ。
プロのサッカー選手なら誰でも、個人事業主としての意見を持っている。
それは、選手がそれまで培ってきた戦術的バックボーンから表出してきたものだ。
代表に継続的に選出され、それなりの自負がある選手であるほど
中澤が言うように、おいそれと意見を曲げるものではない。
中田は常にDFラインを上げ、前からボールを奪いに行こうという意見だし、
宮本はDFラインを下げざるを得ない場合もあると言う。
このような根本的な部分で対立が生まれてしまったら、
選手同士で擦り合せるのは困難だ。
結局中田が憎まれ役を買って出て意見の統一を図ろうとしたが、結果は見ての通り。
本来なら、監督がその役を担って選手達に同じ方向を向かせる。
そのためにはまず選手からの信頼を勝ち取らなければならないし、
意に添わない選手を切るなど少々強権を発動したりすることもある。
そうした監督としてやるべきことを全て選手に丸投げし、
果たすべき責任を何一つ果たさなかったど素人監督、それがジーコという人である。
そんな監督の元でチームがまとまるわけはない。
これは自由なサッカーとか組織的なサッカーとか、そういう議論のはるか以前、前提段階での話である
(つまりジーコのやり方は日本にとって早過ぎた、などという言い訳は全くもって的外れである)。
チームには戦術の方向性を指し示す監督が必要である。
中澤が指摘しているのは実はその程度のことであり、
裏を返せば、あの4年間の日本代表がいかに異常な状態だったかがわかる。
船頭が多過ぎたら船は山に登ってしまうかもしれない。
だが、船頭がいなかったら、船は出港すらままならないのだ。
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