たぶん表に出て来ないだけです [ 日本代表 ]
オシムの名前が協会からもたらされたことによって、代表監督の周辺が騒がしい。
日本代表がW杯本大会を戦っていた時より盛り上がっているんじゃないか。
それにしても、なぜそこまで義理立てしなければならないのか不思議なこと
アメリカにヘーコラする政府並みなのが、マスコミのジーコに対する評価だ。
今までは紆余曲折があったにせよ、アジアカップ優勝、W杯予選突破という結果を残してきたから
厳しい批判が出なかったのはまぁわかる。
しかし、W杯本大会で喫した惨敗を受けてなお、ジーコ監督に対して
日本のマスコミお得意の一転して掌を返すような批判が噴出しないのは何故なのだろう。
神様だからか。
今回の総括として、”日本には個人能力が足りなかった”とまことしやかに語る解説者がいるが、
何を今更。今更過ぎである。
まじめに今頃そんなこと言ってたら白痴かと思われるぞ。
これまで日本が重ねて来た努力は、世界の個人能力との差を埋めようとする歴史そのものだ。
だいたい、組織作りを一切せず、個人能力のみに頼る戦い方を選択した監督の責任が何故問われないのか。
個人能力のみでW杯を戦えると判断したのは監督だ。
監督は日本代表の能力を見誤っていたということであり、
やっぱ個人能力まだまだだったね、で済んでいいわけがない。
それから当ブログではそれこそさんざん書いてきたことだが、
ジーコは”自由なサッカー”というカッコいいフレーズを言うだけで、
実行に移すための手段を何ら講じなかった(られなかった)有言不実行監督である。
そのことに対して批判すべきだろう。
日本代表の能力を見誤っていたにせよ、監督自身に目標達成の能力がなかったにせよ、
結局ジーコの掲げたサッカーは実現出来ていない。
それは全て監督の責任だ。
そして能無し監督を無理矢理就任させた川淵会長の責任だ。
戦犯探しが好きなマスコミが何故そこを追求しないのか、不思議でならない。