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あの日の中山雅史 [ その他サッカー ]

明けて2013年1月1日。
第92回天皇杯決勝が行われた。
私はTV観戦したが、ゲスト解説があの中山だった。

ドーハの悲劇からサッカーを観始めた”にわか”である私にとって、
中山雅史はまさしく日本を代表するフォワードである。
全く個人的にはだが、日本代表のフォワードと言えば中山なのだ。

年齢を重ねるにつれなお研ぎ澄まされていく得点感覚。
いつでもどんな相手でも見せる熱い、熱い全力プレー。
中山雅史ほど胸を熱くさせる選手はいない。

その中山が、今シーズンを限りに引退するという。
遅ればせながら、中山の思い出を綴ってみたい。
私が思い出すのは、2001年8月15日に静岡スタジアムで行われた
アジア・オセアニア選手権の対オーストラリア戦である。

前年にアジアカップレバノン2000で他を圧倒する内容で優勝した日本代表は
翌年3月に行われた最初の試合に意気揚々とフランスに乗り込むが、惨敗。
いわゆるサンドニ・ショックを経験する。

対アジアでは圧倒的だったレベルも、対世界では守備的にならざるを得ない
と判断したトルシエ監督は、一度極端に守備的に振ったスペイン戦を0-1で乗り切り
1ヶ月の間をおいてコンフェデレーションズカップに臨んだ。

バランスを整え直したコンフェデでは、歴代日本代表の最高峰とも言える内容で
決勝までたどり着き、2ヶ月半前に惨敗した相手、フランスと再び相まみえることになる。
惜しくも敗れはしたが、世界基準で戦えることを示した大会だった。

それからさらにキリンカップ2試合を経て、当時竣工したばかりだった静岡スタジアムでの
ワールドカップ開催の事前準備も兼ねた親善試合、アジア・オセアニア選手権が行われることになる。

この試合、2-0でリードした後半20分、中山が途中出場のためピッチ脇に現れると、
4万6000人を集めたスタンドからもの凄い大、大、大歓声。
状況的には、交代要員がピッチ脇に立っただけである。
日本は2点差でリードしており、劣勢を跳ね返す場面でもない。
それがこの日一番の大歓声を沸き起こした。

ホーム側ゴール裏最上段近くで観戦していた私は、自身も叫びながらそれを聞いて鳥肌が立った。
日本代表には、俺たちには中山雅史がいる、そう実感できた瞬間だった。

私はあの日静岡スタジアムでの大歓声を一生忘れないだろう。
そして中山がこれからも、現役時代に見せてくれたような全力プレーで、
日本サッカーを牽引してくれることを願っている。

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