リスクを避けた志の低いサッカーが招く未来 [ 日本代表 ]
本日4月2日の朝日新聞の朝刊13面に掲載の「私の視点」に、杉山茂樹が日本代表評を寄稿している。
杉山茂樹のシステム至上とする評価基準にはこれっぽっちも賛同することは出来ないが、
アウトプットとしての日本代表に対する評価それ自体については、私は全く同感である。
以下に骨子を引用する。
予選は内容ではなく結果だ。ロスタイムのゴールでもオウンゴールでも勝ちは勝ちという意見を否定するつもりはない。しかしその「現実的」視点は、長い目で見ると自らの首を絞める結果につながりはしないだろうか。
勝てば官軍という結果至上主義と、スポーツ(サッカー)の持つ本来の魅力との均衡が大きく崩れてしまっているのが、日本代表の現状だ。
冷静に見て、サッカーそのものが恐ろしくつまらない。ジーコ監督と選手が、サッカーの魅力を伝える伝道師役を果たしているようにはとても思えない。今の代表の
リスクを避けた志の低いサッカーで、
たまたま試合を見た人でサッカーって面白いなと感激した人はどれほどいるだろうか。思うに、杉山と私が代表に求めているものは同じなのだ。
日本サッカーの象徴であり、これからの日本サッカーをリードして
進むべき方向を指し示すような牽引車としての日本代表。
日本サッカーの発展には、国内のあらゆるチームの中で、
最大の注目を集める代表の魅力あるサッカーが不可欠だ。
今の「リスクを避けた志の低いサッカー」で、サッカーの魅力に気付いてあらたなサッカーファンになる人、
あるいは、サッカーやってみようかなと思う子供、未来の代表候補がいるだろうか。
私は、ジーコが監督のうちにではなく、その後の世代になってから
ツケが回って来るのではないかという危惧を常々持っている。
ジーコが去った後にやって来る冬の時代。
その到来を想像して、私は暗澹たる気持ちになる。
問題点は明らかだ。
それは勝っているから、前回の最終予選の方がもっと危なかったからと言って
根本の問題を見ないでいるうちに、より対処の困難な大きな問題となって我々の前に立ち塞がるだろう。
その時に後悔してももう遅い。
逆に今なら、今のうちなら一点を改善すれば解決することができる。
なぜそれをやらないのか。
壮大な夢を掲げる日本協会が、
サッカーそのもので夢を与えることの出来ないジーコをどうして容認するのか、
私には理解できない。
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