語れ [ その他サッカー ]
ジーコ代表監督時代に開設した当ブログでは、
日本を代表するサッカー、日本中のあらゆるサッカー選手が目指す
ピラミッドの頂点たるサッカーを体現すべき存在としての日本代表のふがいなさの原因として
さんざん協会や代表監督やマスコミを批判してきた。
だが、今回の批判の対象は、代表サポーター(ファン)である。
きっかけは、サッカー批評 issue32の記事「日本サッカーメディア批評」を読んだことだ。
曰く、日頃サッカーを観ていない人、
弱くなったら応援しない人、その時はまた別の流行りものに飛びつくような人、
ストレス解消のために来ているのに小難しいことなんて考えたくない、
そんな人が多く、サッカー人気は依然として「薄く広まりつつある状態」だと。
原文そのままではないが、主旨としては以上のようなことを述べている
(もちろん記事ではファン以外のことについても書かれている)。
私は以前から、日本人の自分で価値判断しない態度を苦々しく思ってきた。
流行りだから、なんか盛り上がっているから、
よくわからないけど行列が出来ているから、マスコミがイチオシだと騒いでいるから。
私自身も、自分が時間をかけてきた分野であるサッカーや映画、音楽、文学については
それなりの基準を自分の中に持っているつもりだが、
それ以外の分野では流されてしまうことを否定はできない。
だが、元来お祭り好きな性格が影響しているのだろうか、
そういった、行動の規範を自分以外の何か誰かに委ねていることに
かけらの疑問も持たない人が多過ぎる。
これは、国民性という根本的な部分に関わる話なので
サッカー選手や監督、協会にとって解決は至難の業だ。
最も影響を与え得るのがマスコミだが、祭りを煽ることはあってもその逆は全く期待できない。
日本にサッカーがどんなに根付いても、代表の試合からお祭り気分が抜けることはおそらくない。
だからお祭り野郎の割合を減らすしかない。
そのためにサポーターが出来ることは、
草の根レベルでサッカーファンを増やす、ピラミッドの裾野を広げることともう1つ、
ピラミッドの頂点を高めるべく、サッカーにまつわる言説を語ることである。
サッカーとは何か、選手はどうあるべきか、監督の仕事とは何か、
戦術とは、システムとは何か、協会とは、スタジアムとは、サポーターとは。
語れ、語ろう、語るのだ。