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祭りが終わって [ その他サッカー ]

東京サポにはおなじみ、MXTV三田涼子アナウンサーの日記から(6/28をクリック)。

もうパブリックビューイングや応援イベントの取材はお腹いっぱいです。だって、勝っても負けてもどんな試合内容でもさして重要ではなく、ただ青いシャツを着て集まって歌ったり踊ったりしたいだけの人が多すぎる。これも4年前は面白い社会現象だと思いましたが、正直言って食傷気味です
お祭りを煽って盛り上げることがマスコミ自身にもスポンサーにとっても有益になるわけだから
本来アナウンサーという立場に限らず、マスコミ側に立つ人にとっては
”ただ青いシャツを着て集まって歌ったり踊ったりしたいだけの人”の存在は
人の形をした成果であるわけだ。

従って上記のような発言をすることは、たとえ小さな地方TV局のアナウンサーであっても相当珍しいと言えるだろう。
マスコミが必然的に抱えるいち側面を自ら否定しているとも言える。

マスコミの人間として、不特定多数の人が見るネット上にそのような心情を吐露するにあたっては、
それなりの心的障壁を感じ、それを乗り越えるには勇気が必要だっただろう。
それだけ憤懣やる方ない思いを抱えているということか。

そんな三田アナの発言を何故取り上げたかと言うと、私自身4年前に全く同じ気分を味わったために、
三田アナの気持ちがよくわかるからだ。

W杯日韓2002では、私は3試合をスタジアムで観戦し(日本戦は残念ながらチケットが入手出来なかったが)、
それ以外にも調布や横浜や埼玉のパブリックビューイングに行ったり、新宿や六本木のパブで観たり
サウジアラビア代表の練習を味スタに見に行ったり、
出来る限り自国開催のW杯を体感しようと外へ出かけて行った。

そしてW杯が終わった時、第1の感想が「楽しかった」。
第2の感想というのが「観客の成熟度において、日本がW杯を開催するには早過ぎた」
(当時はまだブログを開設していなかったが、開設していたら間違いなく掲載していた)。
理由は三田アナと全く同じ。
行く先々で単に騒ぐだけのアホな奴らに大量に出くわし、嫌気がさしたからである。

何故にサッカーを語れないのに、サッカーの祭典で熱狂出来るのか、私には理解不能だった。
六本木の路上を埋め尽くした奴らが、日本の勝利を喜び合ってハイタッチを繰り返す様が気持ち悪かった。

私は実際に足を運んで体験している。
六本木に来ていたのはそのほとんどがお祭り気分を味わいたいだけの人だった。

もちろん、W杯開催によってスジタアム建設やその周辺アクセスが改善されるなどインフラ整備が進み、
サッカーに対する認知度が上がり、代表への注目度の上昇に伴ってJリーグへの注目も高まり、
Jリーグ開幕以降、10年を経た日本のサッカー界のみならず
その環境までも含めた日本社会にW杯開催が与えた影響は計り知れない。
だが、いちサッカーファンとしては、次にいつ開催出来るかわからない、
開催出来るとしても私が生きている保証はないW杯の自国開催の時期には早過ぎた、そう思うのである。

10年20年後ろにずれても、お祭り好きな国民性が変わることはないだろう。
しかし改善は見込める。
それだけ日本人の中でサッカーに対する理解が深まり、反比例してサッカーに対して理解の浅い人の数は減少する。
つまり行く先々で三田アナや私が不愉快な思いをする確率は減少するわけだ。
W杯という大会にとっても、サッカーの祭典にふさわしい、より真に近い熱狂が生まれるだろう。

ただし、当然ながらこの見込みはサッカーに対する理解度の増進を前提としている。
10年20年経っても、結果的に理解度に向上が見られなければ全く意味はない。
さすがに1次関数的な単純増加ではないかも知れないとは思っていたが、
それにしても、わずか4年後に日本代表の停滞期突入、
日本サッカー界冬の時代再到来が危惧される状況に陥るとは、私も予想していなかった。

私に出来ることと言えば、スタジアムに足を運ぶこと、
そして少しでもブログで意見を発すること、これぐらいだ。
だから超零細ブログだけどがんばります、これからも。
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