空白の代表 [ 日本代表 ]
北朝鮮戦出場停止の左サイド三都主の穴は誰が埋めるのか。
ジーコの選択は、中田浩。
ありゃ、三浦淳は?
北朝鮮戦メンバーが鹿島ばっかじゃん、という突っ込みは横へ置いておいて、私は何故に中田浩なのかが疑問だ。
同じ鹿島でも、守備に難ありのドリブラーという意味では、本山の方がタイプ的に三都主と似通っているからだ。
三浦淳というバックアッパーがいるのを差し置いて、本山というのならまだわかるが
どうしてサイドの選手でもなんでもない中田浩なのか。
私の知っている限りにおいては、352のサイドをやったのはマルセイユでの数試合だけだ。
三浦淳、本山、中田浩と並べてみて、中田浩を選ぶ理由を推測せよという問題を出題されたなら、
私は攻撃よりも守備力を重視したから、という回答しか見つけられない。
何と言うか、リアリズムに挫かれた理想を目の当たりにさせられて、少し哀しい。
かつては4バックのサイドに三都主を起用していたあのジーコが、
今や352のサイドに中田浩である。
だが、ジーコ個人の変節だけなら、こんなことは笑えば済む話だ。
ここ10数年の日本サッカーが急速に発展した最大の根本的要因は、
アジアを勝ち抜き、世界に伍していくために必要なものを現状から分析し、
中長期的な計画を立て、それに基づいて育成・強化を行ってきたからだろう。
こう書くと当たり前で簡単なようだが、的確な分析力、企画力、資金、遂行能力と
どれか一つでも欠けていたら、ここまで長足の進歩はなかったろう。
そして現日本代表監督ジーコには、全くそれらの能力が備わっていない。
今まで散々書いて来た通りだ。
理想の追求に必要な能力を何一つ持たないくせに、おいしい事ばかり並べ立ててきて
W杯予選の最後にたどり着いたのが、352のサイドにボランチ起用という消極的な選手起用と
”ボールの後ろに8人残す”という守備的戦術だったとは、笑うに笑えない。
日本代表という日本サッカーの頂点が
ジーコという素人監督に振り回されてきた(?何もやってこなかった?)この3年もしくは4年間は、
空白の3(4)年間として日本サッカー史に刻まれるだろう。