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想像の世界 [ その他サッカー ]

タッチライン二面を防護フェンスに囲まれ、監督やGK、そして攻めるゴール裏方向から指示を出すコーラーの声を足がかりにして、鈴が入ったボールを蹴る。味方の砂を踏む音、相手が発する「ボイ(=ベトナム語で「行くぞ」の意味)」の声、自分とボールの位置、ゴールへの距離と方向、それらの感覚と音がアイマスクの奥で成功の理想像を構築していく。
ブラインドサッカーについての描写である。
GK以外のフィールドプレーヤーは、全盲状態でプレーする。
競技者は、己の想像の世界でプレーするのだ。

私は幼少の頃、当時の子供のご多分に漏れず野球をやっていた。
そして社会人になってからサッカーを始めた。
始めた年齢に大きな差はあれど、私は両方をそれなりの人から習い、試合を経験している。

そして、大変に主観的、個人的ではあるが率直な感想を持った。
それは”サッカーの方が難しい”というものである。
(ちなみに私は球技は割と得意で、特に野球は地域の少年野球チームでキャプテンを務めていた)

野球とサッカー、どっちがどう難しいかはその人の資質によるだろうし、
競技開始年齢差も決して無視出来ない要因だろう。
だが、野球とサッカーでは本質的に次のことが異なり、
それがサッカーの方が難しいと思わしめる理由であると私は考えている。

野球は、基本的にある局面に対し、最善のプレーというものがある程度限定的である、
言い換えれば注意すべきところが1つである。
それに対しサッカーは、ボールを保持した時、ボールと周囲の状況と、2つを同時に把握する必要がある。

人間が視線を向けられるのは普通1カ所だから、同時に把握することは本当の意味では不可能だ。
だから交互にやるほかはない。
ボールに触れられるのは足であるということが難しさに拍車をかける。

ボールを扱うために足元を見るのも、状況を把握するために周囲を見るのも、
当然ながら目で行う。
つまり私にとって、子供の頃慣れ親しんだ野球とサッカーとを分つ最大のポイントは、
視野、視覚なのである。

その最大のポイントを塞いで行うサッカー、それがブラインドサッカーだ。
正直言って私には目をつぶってするサッカーが想像つかない。
ましてや、
流れてくるボールをダイレクトでゴールに叩き込める
なんて。
ブラインドサッカー、それは私にとって想像の世界のスポーツだ。
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