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ホンマヨシカの指摘 [ その他サッカー ]

ホンマヨシカはウルトラスの中にフーリガンがいる、という考えのようだ。

ウルトラスは自分の町のサッカーチームを応援する応援団なのだが、多くの若者たちは集団で騒ぐことが目的だけで組織に入っているようだ。

昨日引用したブッフォンは、暴走してはいるもののあくまで彼らはサポーターであり、
基本的にはチームの勝利を願う存在であるという認識に立っていた。
それはこのコメントに現れている。
-ウルトラスに言いたいことは?

「こうすることで、サッカーが死につつあるということだ。そして、それは君らウルトラスだって望んでいることじゃないはずなんだよ」

この点以外においては、2人の論はおおむね似通っている。
さらにホンマヨシカは、新たなキーワードが登場させてより深く考察している。
バンダリズムと事なかれ主義。
元を辿って行けばやはり社会の問題に行き着く。

バンダリズムから浮かび上がってくるのは社会の閉塞感だし、
事なかれ主義を招いているのは社会の風潮とイタリア人の気質だ。

しかしこれ、あながち日本人は楽観していられない問題だ。
格闘技界はその筋から多大な影響を受けているし、
カシマスタジアムではスタジアム内ゴール裏で
公然とダフ屋行為を働くその筋の人間を見て見ぬ振りをしていた
(今は排除されている)。
これらは日本人の事なかれ主義が招いた事態であると言えるだろう。

カターニアでの暴動はかなり極端な例ではある。
だがその根本理由を見ると、日本にとっても決して対岸の火事ではない。

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ブッフォンの指摘 [ その他サッカー ]

カターニアで起きた暴動について、ブッフォンが結構踏み込んでコメントしている。

”サポーター”なのか”フーリガン”なのか?

-それらのおかしな人たちが、本当にサッカーに興味を持っていると思いますか?

「全員にとって、ウルトラでいることは生きていく方法の1つなんだ。仲間になって、日常から抜け出すためのね。僕の時代もそうだった。違うのは、当時は唯一のミッションは応援することだった、ってことだ。今は警官やサッカー連盟、ライバルチームのサポーターを攻撃することになってしまっている。政治活動をしたりね。とにかく、1つ言いたい。オランダ人のようになっているんだ。今はインターネットで簡単になっている。ある場所で約束して、お互い殴りあっている。石を投げたり、グループ内で叩き合うことが勇気のあることだと思っているのなら、間違っているじゃないか」

クラブとウルトラの関係について。
-では、クラブの責任というのは?

「サポーターと妥協しようとしてきた。時には役に立ったよ。マンチェスターでやったミラン対ユーヴェ戦とかみたいにね。ボスが呼ばれて、『何も起きてはいけない』って言われたのさ。実際にそうなっただろ。でも、時にはそれが行き過ぎになった。特に、金が絡む関係においてね。もしくは、メッシーナでは彼らが監督を解任に導いたりもした。あってはいけないことだ」

私は当初、この事件はいわゆるフーリガンによるものだろうと踏んでいたが、どうやら違ったようだ。
過激なサポーター、ウルトラの行き過ぎた行為ということらしい。
しかし、ここまで来ると末期的であると言わざるを得ない。
サポーターが意図的に混乱に乗じて警官を襲撃、殺害するなどとは。

イングランドやオランダでフーリガンが暴れ回った時と比べて、
サポーターであるという点において、根が深い問題かも知れない。

何よりも [ その他サッカー ]

A・マドリーのドクターのフェアプレー

プロのサッカーの現場ってのはともすれば殺伐とした雰囲気になりがちだが
勝敗や敵味方を超えたフェアプレーの精神にこそ、スポーツの素晴らしさがある。

ユベントス戦の中継を観ようとしたら前々節をやってた [ その他サッカー ]

12年ぶりに試合が中止になるなど大変なことになっているイタリア。

恐ろしいことに、10年あまりの間にスタジアムの内外でこれだけの事件が起こっている。
これ以外に事件もたくさんあるに違いない。
現に、同じカードのパレルモホームの試合(2006年9月)でも、
こんな小競り合い(小ではないか)があったようだ。

ところで結構間違えている人が多いのが、言葉の定義として
フーリガン=暴徒化したサポーター
ではないということだ。
Wikipediaの記述も完全に間違いである。

中田徹も書いているが、いわゆるフーリガンとは

サッカー観戦、応援が目的ではなく、暴力行為を目的としてサッカー場、もしくはその周辺に来る者
を指す言葉である。
サッカー観戦、応援が目的である、ファン/サポーターとは区別されるべきものだ。

おそらくこの”フーリガン=暴徒化したサポーター”という誤認は
日本においてフーリガンそのものに対する認知度が低いためだろうが、
マスコミの報道にもこうした間違った認識が散見されるのは勘弁して欲しい。
我々の身近なところでこんな事件が起きてフーリガンの認知度が高まるよりましではあるが。


ワールドサッカープラスから拝借(AP/SKYTG24)

乗り換え [ その他サッカー ]

スカパーでキャンペーンが始まっている。
期間中にスカパーに新規加入し、JリーグライブDXを契約すると
月々の視聴料が2000円割引になるというもの。

スカパーとしては、最初の敷居を低くして加入者獲得を狙っているに違いない。
3/3、4にはJリーグの開幕全試合の無料放送も行う。
そのうちTVCMも始まるだろう(もう始まってるかな)。

昨日、早速欧州サッカーセットに乗り換えるべくスカパーにアクセスしたが、
込み合っていてログイン出来ずじまいだった。
ひょっとして、サッカーセット契約変更でログインが難しいほどアクセス過多になってたんだろうか。
Jリーグセットのために新規加入激増ってことはなさそうだけど。

フランスとオランダはいずこへ [ その他サッカー ]

明日2/1からのスカパー新サッカーセット販売が始まる。
「スカパー!サッカーセレクション+UEFAチャンピオンズリーグセット」
のパックで契約してたわたしにとっては
値段据え置きでJsports2が増える分、事実上の値下げなので全く気にしていなかったんだけど。
「スカパー!サッカーセレクション」のみで契約していた人にとっては、
観たくもないチャンピオンズリーグの分を値上げされるのと同じことだって、つい最近気付いた。

しかも、「海外サッカーセット」のような
フランスリーグ1とかオランダエールディビジを観るパックがなくなってしまった。
これってつまり、フランスとかオランダとかを観たい人はESPNやGAORAなんかを
各チャンネル毎に契約しろってことかい。

こういうマイノリティを排除するような動きには賛同しかねる。
スカパーがやっているのは商売だからそんな悠長なことは言ってられないかも知れないが、
間口を狭めてサッカーファン拡大の敷居を高くすることは、
スカパーにとっても望ましくないんじゃないだろうか。

そう言えば、WOWOWが持ってるリーガエスパニョーラもパックに組み入れて欲しいんだけど
そりゃさすがに無理か。

プレミアム ロシツキー [ その他サッカー ]

今日は帰ってTVをつけたらプレミアリーグ第24節 アーセナル対マンチェスターU戦をやっていた。
1週間以上前の試合だが、観よう観ようと思いつつ未見の試合だったので後半から観たら
試合終了間際の後半48分にアンリが逆転ゴールを奪うという結構すごい試合だった。

解説の桑原は、敗因としてクリスティアーノ ロナウドを下げてエインセを入れた
ファーガソン監督の消極的な采配を挙げていたが、
試合の趨勢を左右した要因としては、ロシツキーが右に来たことの方が大きいように思える。

まずフレブOUT、ファン ペルシーINという交代があり、
ファン ペルシーを左で使うことを優先した帰結として、それまで左にいたロシツキーが
フレブのサイドである右に移ったような感じだったが、結果的にこれが奏効した。

フレブとロシツキーはタイプがよく似ている。
だがどちらかというとフレブの方がドリブルの比重が高く、
反対にロシツキーの方が周りを使うのがうまい。
そのロシツキーによってエブエのオーバーラップをより引き出すことが出来るようになったと私は見る。
そして同点ゴールはロシツキーのクロスから、
逆転ゴールはロシツキーとのワンツーで抜け出したエブエのクロスから生まれた。

桑原の指摘する通り、アーセナルの右サイドでのせめぎ合いはもちろんあっただろう。
だが、その力関係はクリスティアーノ ロナウドが交代する以前、
ロシツキーが右サイドに来た時点で逆転していたのだ。

それにしてもプレミアリーグのゴールの時の歓声はいい。
ワーではなく、ィヤーーー!!!と叫ぶ。
カッコいいと思ってしまうのである。

語れ [ その他サッカー ]

ジーコ代表監督時代に開設した当ブログでは、
日本を代表するサッカー、日本中のあらゆるサッカー選手が目指す
ピラミッドの頂点たるサッカーを体現すべき存在としての日本代表のふがいなさの原因として
さんざん協会や代表監督やマスコミを批判してきた。
だが、今回の批判の対象は、代表サポーター(ファン)である。

きっかけは、サッカー批評 issue32の記事「日本サッカーメディア批評」を読んだことだ。
曰く、日頃サッカーを観ていない人、
弱くなったら応援しない人、その時はまた別の流行りものに飛びつくような人、
ストレス解消のために来ているのに小難しいことなんて考えたくない、
そんな人が多く、サッカー人気は依然として「薄く広まりつつある状態」だと。
原文そのままではないが、主旨としては以上のようなことを述べている
(もちろん記事ではファン以外のことについても書かれている)。

私は以前から、日本人の自分で価値判断しない態度を苦々しく思ってきた。
流行りだから、なんか盛り上がっているから、
よくわからないけど行列が出来ているから、マスコミがイチオシだと騒いでいるから。

私自身も、自分が時間をかけてきた分野であるサッカーや映画、音楽、文学については
それなりの基準を自分の中に持っているつもりだが、
それ以外の分野では流されてしまうことを否定はできない。

だが、元来お祭り好きな性格が影響しているのだろうか、
そういった、行動の規範を自分以外の何か誰かに委ねていることに
かけらの疑問も持たない人が多過ぎる。

これは、国民性という根本的な部分に関わる話なので
サッカー選手や監督、協会にとって解決は至難の業だ。
最も影響を与え得るのがマスコミだが、祭りを煽ることはあってもその逆は全く期待できない。

日本にサッカーがどんなに根付いても、代表の試合からお祭り気分が抜けることはおそらくない。
だからお祭り野郎の割合を減らすしかない。

そのためにサポーターが出来ることは、
草の根レベルでサッカーファンを増やす、ピラミッドの裾野を広げることともう1つ、
ピラミッドの頂点を高めるべく、サッカーにまつわる言説を語ることである。
サッカーとは何か、選手はどうあるべきか、監督の仕事とは何か、
戦術とは、システムとは何か、協会とは、スタジアムとは、サポーターとは。
語れ、語ろう、語るのだ。



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