ブレブレの監督とサポートできない協会 [ 日本代表 ]
2014 FIFAワールドカップ グループリーグ第3戦 日本対コロンビアは1-4の完敗。
日本のブラジルW杯の戦いはグループリーグ3戦で終了となった。
先発を8人入れ替えてきたコロンビアは割合的に1.7軍とでも言うべき布陣だった。
それで日本と互角、キープレイヤーが交代で入って来た途端、日本を圧倒するという
明らかに格上の国だった。
さすがFIFAランキング第8位。つい最近までトップ5入りしていたこの順位は伊達ではなかった。
ドログバ個人を除いて、FIFAランキング23位のコートジボワール、
12位のギリシャにはそこまでの格上感はなかった。
私は、サッカーにおいて多少の格差は試合にはそれほど現れず、
それはシステムや戦術である程度カバーできるものだと考えている。
しかし、ある程度の差以上が双方に存在する場合、明白な格差感が生じ始める。
なかなか定量的に示すことは難しいが、どこかにその閾値はあり、
明らかに格上と感じる相手というのもまた確かに存在する。
今回のグループリーグの相手の中ではコロンビアだった。
だからこのグループリーグ第3戦の敗戦は仕方がなく、日本はよく戦った。
つまり、グループリーグを勝ち抜くには、第3戦で勝利必須ではなく、
引き分けでOKという状況を作らなければならなかった。
第1戦、第2戦で少なくとも1勝1分と勝点を稼いでおいて、
(現実的なところとしては、コートジボワールに勝利し、ギリシャと引き分けか)
目論見通り引き分けに持ち込めれば勝ち抜け、負けても他会場の結果次第で勝ち抜け。
この状況に到達していることが必要だった。
と言うより、すべてが終わった今から振り返ると、日本が勝ち抜くストーリーは
これしかなかったと言えるだろう。
では何故ここまで第1戦、第2戦と思うようなサッカーをすることができず、
苦しい状況に追い込まれてしまったのか。
ずっと考えていたのだが、何気なく読んだ記事に重要なことが書いてあった。
ザック監督采配ミス認める「違う形で…」
攻撃的なサッカーを貫くと宣言しながら、初戦コートジボワール戦で選手に守備意識を植え付けすぎたことが、この記事が正しければ、何のことはない、全ては監督の戦術ミスということだ。
結果的に逆転負けにつながっただけに「初戦、2戦目のアプローチが良くなかった。もっと違った形でもっと
攻撃すべきだった」と自らの責任を口にした。
今まで攻撃的サッカーで通してきて、いきなり守備的、あるいはバランスを取りながら行けなどと言われれば
そりゃ中途半端なサッカーになるのも無理はない。
前回のエントリーで書いた中盤の守備的な構成も、その現れのひとつだった。
どうせ強豪国相手に守備的に戦うなら、サンドニショック後のスペイン戦、
あるいは南アフリカ大会での阿部アンカーシステムのように、もっとドラスティックにやるべきだった。
そうでないと中途半端になってしまう。
サンドニショック後のスペイン戦では3バックを5バックに、
南アフリカ大会では守備的MFとDFラインの間にもう一人アンカーを配置するという、
それまでのやり方と比較して超守備的に思い切った変更をした。
短期間に変更し、しかもそれを試合で表現するためには、
システムから変えるくらいガッサリ変えなくては駄目なのだ。
意識付けだけでどうこうできるものではない。
日本の最大の敗因は、監督のブレだった。
監督のブレは、ここにも現れている。パワープレーである。
後藤健生のコラムから引用する。
豊田陽平が招集されなかったのは「パワープレーはしない」、日本らしい「足元でパスを繋ぐサッカー」を、全く同感である。
徹底するためのはずだった。だが最終的に、ザッケローニ監督は吉田をトップに上げてパワープレーを試みた。
それなら、豊田なり、ハーフナー・マイクなり、闘莉王なりを入れなかったのは何故なのか……。
パワープレーをするなら、選手選考の時点でそれなりの人材を選出すべきだろう。
それをしていないのに、本大会の試合でいきなり実践しろと言われても無理な話だ。
それでは何故ザッケローニはそんなブレブレの采配をすることになってしまったのか。
日本は主に大会予選で対戦するレベルの低いアジア諸国との戦い方と、
ヨーロッパや南米、アフリカを相手にした時の戦い方が必然的に異なってきてしまうのは
前々から言われている話である。
おそらく、ザッケローニの実感としてそれが得られたタイミングが遅かったのだろう。
逆に言えばそれくらいしか思い当たらない。
知っていて何も手当てしなかったとなれば、おかしな話になってしまう。
それならば、責任は協会にある。
国際大会やアウェーで、世界の強豪と当たる機会を作って来なかったツケだ。
こんな、強豪となるべく本気度の高い試合で対戦する機会を増やせなんていうことも
前々から言われている話なのだが。