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DFライン総取っ替え [ FC東京 ]

本日の対戦相手横浜は、DFのレギュラー3人が出場停止。
日本代表ニュースによれば、DFラインの予想スタメンは以下の通り。

DF:柳想鉄、河合、栗原、中西

3人欠けてるはずなのに、それなりの選手が揃っているのがうらやましい。
河合は昨シーズン、怪我が続いたレギュラーの穴を埋めて名を上げた選手だし、
栗原はU23代表選手。
中西は言わずと知れた日本を代表するユーティリティープレイヤー。
柳も本来なら右SBに入るはずの波戸の穴埋めだが、やはり昨シーズン怪我だった波戸の穴を
初めてのポジションであるのにも関わらず見事にカバー、
現在も韓国最高のユーティリティープレイヤーであることを証明した。

同じことを東京でやったらどうなるか。
加地、ジャーン、茂庭、金沢が何らかの理由で出られないとなると、
呉、松本、増嶋、藤山かなぁ。

松本なんてサブにも入ったことないし。
徳永がいれば入れたいところだが。
いずれにしろ、横浜と選手層の差は歴然。
つーか当たり前の結論だけど。

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「サッカーはディテールの集積である」 [ 日本代表 ]

再び、Number593(1/22 特集 語ろう、代表を)ネタ。
ブルーノ・メツインタビュー。

02年ワールドカップでの日本よりは、コンフェデ杯のチームの方が私は好きだ。これは好みの問題だが、ワールドカップの日本は
ステレオタイプで、堅固なチームではあったが、プレーの喜び、熱狂を欠いていた。あまりに形にこだわりすぎて意外性がなく、
怖さを感じなかったから、セネガルの対戦相手としてもさほど心配はしていなかった。

以上のように日本代表に対する評価を語り、「私は攻撃を志向する」と明言するメツは、方向性において
”攻撃的””自由””創造性”を掲げるジーコとほぼ同じであると思っていいだろう。

そのメツが挙げる日本の課題は、
堅固さと創造性の2つを調和させること

である。

「この(コンフェデ杯)のときの日本の印象は、はじめてセネガル代表を見たときと重なる」
と言うメツは、セネガル代表にどんな指導を行ったのか。

高めたのは、オフ・ザ・ボール動きの質だ。それはセネガルでもアル・アインでも同じ。もの凄く時間をかけて、綿密にディテールを
詰めていった。ディテールこそサッカーのすべてで、サッカーはディテールの集積のみで成り立っているといってもいいぐらいだからね。

目指す方向は同一でも、教えられるディテールはシュート技術だけのジーコと
魅力的なサッカーでワールドカップ初出場のセネガルをベスト8に導いたメツ。
両者の差はあまりにも大きい。

ピラミッド [ その他サッカー ]

籍を置いているチームの今シーズン初(!)練習に参加。
シュートおよびセットプレイ練習、ミニゲームを行った。
なんじゃそりゃ、シュート練習ばっかやってる代表を批判できねぇな(笑

冗談はさて置き、結構前の話になってしまうが、
チームが所属する、東京都社会人リーグ四部およびエントリーリーグの総会に
代理で出席した時のこと。
開催場所は文京区区民センター。
事前に文京区のHPを見てそのキャパを調べてみると、300〜400人収容の会議室であった。

さて当日、2、300人程度の出席者を予想して行ったら、とんでもない人数である。
さながら予備校の人気講師の授業みたいな様相を呈している。

細長い会議卓に3人ずつ座り、それが横に4つ並び、さらにそれが縦に10列以上ある。
1チームから代表者1人が出席することになっているから、
少なく見積もっても1200チーム所属している計算になる
(あとで確認したら1400チームだとのこと)。

人が多過ぎて熱気がムンムンしている。
そりゃそうだ。キャパの3倍の人数を収容しているんだから。

それにしても東京都社会人リーグ4部だけ(エントリーリーグは20チーム程度)で、1400とは。
その数を目の当たりにして、自分も”日本サッカー界”を構成する
JFA登録選手83万5千人の一人なんだと実感した感慨深い一日だった。

素人丸出し [ 日本代表 ]

スポナビのチェコ戦後のジーコ監督会見から抜粋。

国内組といっても、ヨーロッパ組と質に雲泥の差があるわけでもなく、彼らはヨーロッパの選手に比べて、
練習する時間も多い。あるいはフィジカルコンディションでも、常にプレーしている選手たちですから、
優れている。これをいかに生かすか、ということが大事です。
逆にいうと、自分が一番うれしく思っているのは、同じチームの中に、そういったクオリティーの高い、
そしていろいろなコンディションの選手がいるということですね。

当たり前です、そんなことは。
今頃気付いたのか。

例えばある時間帯、一定の時間帯で、導入のところはやはりヨーロッパ組のクオリティーを生かしておいて、
コンディション的に難しくなったところで、国内組のクオリティー、プラス、コンディショニングのいい選手を投入すると。
敵を多く引き付けさせ、そしてポンっと元気のいい国内組を出すことによって、彼らの資質、コンディショニングの
良さを勝利に結びつけるということが、非常に大きな戦術だったということです。

何をさも自分の大発見のように語っているんだコイツは。
選手交代の基本、常識、セオリーだろうが。
しかもそれは戦術じゃなくて采配だ。

マジでヤバイ、この監督。
いや、もう監督と呼びたくもない。
某番組でセルジオ越後が言っていたが、
なにゆえわざわざ高い金払って監督を育成する必要があるのか。
アホらしい。

反省、そして再確認 [ FC東京 ]

ナビスコ杯予選リーグ第2節、東京は2−1で鹿島に勝利

今日は事情によりMXTVの中継をビデオで観たが、
遠征に行かなかったことを大いに後悔させられた。
諸般にわたる事情があるにはあったのだが、いずれも決定的なものではなく
数難を排して行くことは可能であっただけに、なおさら残念だった。

数難を排する努力を怠った理由には、
ここ数試合の戦いぶり、代表組の不在、対戦相手の地力を考えると
良い試合が観られるとは考えにくかったことが大きい。

いわば私は東京の選手たちを信頼できていなかったわけだ。
だが、彼らは結果だけでなく内容でも信頼に足るチームであることを証明し、
信頼していなかった私に反省を促してくれた。
嬉しい限りである。

今回は歓喜を共にする機会を逃してしまったわけだが
できるだけ現場に行こうという思いを持っているのは、
なにも良い結果や素晴らしい試合を見んがためだけではない。
スタジアムに行けば、なにかしらひとつは小さくとも心に残る体験がある、
そう感じているからだ。

それは90分の中のワンプレーであったり、
たったひとつの声援であったり、
運営側のちょっとした心遣いであったりする。

その何かを求めて、私はスタジアムへ足を運ぶ。
チームへの信頼と静かな闘志を胸に。

あらためて−日本女子代表 [ 女子サッカー ]

J's Goalに北朝鮮戦のフォトギャラリーが掲載された。
30枚の写真で北朝鮮戦を追体験したが、泣けてくる。

澤の祈り、山本の視線、川上の突破、酒井の気迫、荒川の先制点、喜びの輪、
大谷のドリブル、上田監督の指示、交代選手へ受け継がれる闘志、丸山の突進、
出場決定の瞬間、歓喜、監督との信頼関係、そして、
ウイニングランで見せる落ちついた達成感の笑み。

全てが純度100%だ。
本当に彼女たち、日本女子代表の真摯なプレーぶりは、
スポーツの原点を思い出させてくれる。

あらためて、おめでとう、日本女子代表。

つらく悲しいこと−日本代表批判 [ 日本代表 ]

ネット上でも、ネット以外でも日本代表(監督)批判をしているが、
そんなことはドーハ以後からの短い観戦歴とは言え、初めてのことだ。

いや、ドーハ以後だからこそなのか。
オフト就任以降の日本代表は、多少の波はあれ、常にステップアップしてきた。
日本は強くなったのだ。

アジア枠が2だった94年アメリカ大会予選は、3位。
アジア枠が3.5だった98年フランス大会予選も、3位。

日本はアジアのベスト4に入る実力を持っている。
例えそれがワールドカップの予選という厳しい戦いにおいても。

選手個々の能力を組み合わせた時、1+1=2というように単純な足し算でなく
1+1=2.5あるいは3となるように戦うことができれば、アジアカップレバノン2000のように
素晴らしい内容を伴って優勝することもできる。

我々サポーターが、アジア枠4.5の06年ドイツ大会予選の突破を
当たり前のように考えているのは、至極当然のことだ。
況や1次予選においておやである。

ジーコが監督としての能力を有していないことはもはや明白だと思う。
人間性の問題や、方向性の良し悪しをおいて、単純に監督の能力を問うた場合でさえ。

ジーコに対して、私はいまや不信感の塊だ。
辞任にしろ解任しろ、どんな形であれ早く交代して欲しいと思う。
そのためには良い結果が出るのは好ましくない。
代表を応援しているはずの私が、いつの間にか悪い結果を願っている。
悲しいことだ。

チェコ戦の主審が、45分が経過する前に試合を終了させたのはなぜだろう?
ジーコのことを”いっつも調子のいいことばっか言ってるおっさん”
としか見えなくなっている私には、彼がその顔を利かせて
ピッチ外での仕事を果たしたのかと穿った考えにまで及んでしまう。

日本代表の試合にそんな思いを抱くなるようになるとは、考えもしなかった。
本当につらく、悲しいことだ。

結果と内容−この多くの場合対立する2つのもの [ その他サッカー ]

サポティスタからリンクが張られていた4/26の練習後のジーコ会見から抜粋。

その(試合)前の10日間を見たうえの批判なら私も受けるが、試合だけを見ていろいろ言うのは、
自分の誇りをかけて絶対に許せない

また不思議なことを言うな、この人は。
監督に対する評価を試合だけで下さずに、練習も加味しろなどと言う人を初めて見た。
しかも、勝ちはしたが内容の乏しい試合の後は、「勝ってるから良いだろ」とのたまってるわけで。
こういうのを二枚舌と言う。

サッカーの監督は、結果が伴わなければ内容、内容が伴わなければ結果で評価される職業だろう。
もちろん両方兼ね備えているのが理想。
(練習内容は言うまでもなく評価の対象外である。何のための練習かを考えてみれば自明だ)

個人的には、結果よりも内容の方が重要だと思っている。
ここで言う内容とは、”サッカーの質”もあるが、私の中では”プレー姿勢”の比重が高い。
それは前に記したように、観る者の心を動かすのは、勝敗や技術を超えた無形のもの
ひたむきさや一生懸命さ、真摯さであるからだ。

また長い目で見て、スポーツを文化と捉えたり、あるいは後続の世代に与える影響を考えた時、
その時々の結果を追求するよりも、内容を追求した方が伝わるものが大きく、後々まで残るはずだ。

プロ(の選手)ならば結果が重要だと言われる。
ハンガリー戦中継の際、ラモスも同様の主旨のことを述べていた。
だがそれは違うと思う。

もちろんプレーヤーが一生懸命になるのは、勝つためだ。
ゆえに結果が最も重要かと言えば、そうではない。
私達は結果ではなく、過程を観にスタジアムへ足を運び、お金を払っている。
プロだからこそ、結果よりも内容(過程)が大事なのだ。



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