環境は馴れ合いに醸成されて [ 日本代表 ]
8/9の記事天狗の鼻は環境が育てるの続き。
”協会からも、マスコミからも、監督としての力量について 正当な評価、批判が与えられない特殊な環境”
を作ったのは日本サッカー協会であることが、W杯が終わってからちょろちょろ報道されてきた。
W杯直前の記事で、必要以上にジーコを持ち上げる番組に対して私はこう書いた。
「ジーコを持ち上げて、なんかメリットがあるのかNHKは」
目的はメリットの獲得ではなく、デメリットの回避だったわけだ。
この”報道統制”が明らかになったことで、川淵会長の独裁色がより鮮明になり、
解任要求の高まりに拍車をかけた。
しかしである。
川淵会長が悪いのは明白だが、マスコミの弱腰もひど過ぎると私は思う。
極端な場合を想定してみよう。
日本サッカー協会の圧力に屈しないで、
全てのマスコミが報道としての矜持を捨てずにジーコ批判を展開したとしたら。
協会がスターシステムを発動しようにも、煽るマスコミがいなければ全くの無意味だ。
協会にとってマスコミは必要欠くべからざるものであり、
全てを切り捨てることは不利益を招くだけなのだ。
ここまで極端でなくても、大手マスコミが協会による圧力を報道しさえすれば同じことだが、
そうはならなかった。
ネット上の一部フリーライターの記事以外は、右にならえで全てジーコ擁護。
健全な批判精神を有していれば、あり得るはずのない状況が日本を覆っていた。
当時はただひたすら不思議だったが、今思えば気持ち悪い。
どこぞの某国と一緒じゃないか。
では何故そんな恐ろしい状態になってしまったのか。
それはつまるところマスコミの連中が、
ジャーナリストではなく単なる売文屋であり、
報道ではなく広告をしているに過ぎないからだ。
それも、マスメディアを構成する全ての組織および個人が、である。
悲しいことにマスコミに顔を出す元サッカー選手も商業主義に取り込まれてしまっている。
ジーコー川淵ラインの片割れが退いたことをきっかけに、圧力のあった事実が明らかにされてきたが
川淵会長解任要求デモについての報道もバイアスがかけられている模様だ。
逆にマスコミと商業主義に迎合しないオシムには
きっとネガティブな記事が書かれたりするんだろう。
もう一方の片割れ川淵会長が退任したとしても、
サッカーに対する不勉強や商売臭さをオシムから痛烈に批判された記者が
私怨からネガティブキャンペーンを張ったりするに違いない。
トルシエの時にあったように。
忘れ物 [ 日本代表 ]
You Tubeで川淵会長解任デモの動画を観た。
熱いね。
いち財団法人の会長の解任を要求して、こんな抗議行動が起きるんだから
サッカーというスポーツの凄さ、そして日本におけるサッカーの浸透度の深さ(広さではなく)を感じる。
ジーコが就任した当時、その現役時代を知るサッカーライターの一部から
神様を批判するなんて出来ないよ、という声が上がっていた。
その時は、ふーんそんなものかね、と思っただけだったが
私が川淵会長に対してそれほど強い姿勢に出られないのも、
ひょっとすると同じようなことなのかも知れない。
サッカーの洗礼を受けたのは、ドーハの悲劇、そしてJリーグの誕生であり、
私のサッカー人生は、Jリーグとそれに同期した日本代表とともに歩んできたと言っても過言ではない。
熱が高じて、社会人になってからサッカーを始めるまでに至った。
会長就任以前の改革者、強力な推進者としての川淵三郎のイメージを拭いきれていないのだろうか。
監督として正当な評価を下すことが出来ず、
選手時代の神様ジーコのイメージから脱却できないライターのように。
だからだろうか、この発言は悲しい。
周囲に目を向けなくなってしまっているような、
耳を傾けなくなってしまっているような、そんな印象を受ける。
チェアマン川淵は、サッカーに対してもっと真摯だったよなぁ。
予報は晴れ [ 日本代表 ]
国際親善試合 日本代表対トリニダード トバゴ代表は20で勝利。
録画しておいて、1日遅れで観た。
第一印象は、人もボールもよく動くサッカー。
月並みだが。
浦和の選手が多く起用されていたとは言え、よくあそこまで形にしたと思う。
オシムの考えるベストメンバーを招集出来、合宿を重ねてオシムのサッカーが浸透した時、
ピッチに立ち現れるものとは。
そんな期待を大きく膨らませる初戦だった。
天狗の鼻は環境が育てる [ 日本代表 ]
”自由なサッカー”を掲げた前任者と、”考えて走るサッカー”のオシム。
”走る”ことを除けば、刻々と変化する状況に対して
応変に対処する判断力を重視することは共通している。
目標実現に際して何ら具体策を持たなかった前任者と
経験と理論を駆使して抽象的な能力を実践的な訓練によって伸ばすことが出来るオシムには、
比べることすらはばかられる天と地ほどの差がある。
前任者の監督としての手腕のなさにはもはや疑いの余地はない。
川淵会長が前任者を就任させた時、そして代表監督を継続させている間、
本当に監督としての手腕を見込んで就任させたのかということが非常に不思議だった。
今にしてみれば、監督としては期待してなかったわけだ。
代表を集金マシーンにするという川淵の野望達成がモチベーションだった。
結果として前任者はその手先のように使われてしまった。
協会からも、マスコミからも、監督としての力量について
正当な評価、批判が与えられない特殊な環境で、監督という職業のスタートを切った前任者は
ある意味でかわいそうな立場だったのかも知れない。
軌道修正 [ 日本代表 ]
4日に発表された13人に加えて5人が追加招集された日本代表。
このメンバー発表には、選出基準の違いなど、いくつかのメッセージが込められているが、
選出メンバーそのものを見て言えることは他のサイトで言及されている。
そしてそれらは全て、むしろ当然の範疇に入ることばかりだ。
ジーコという前監督が特殊だっただけ。
オシムが発した最大のメッセージ。
それは、やっぱりみんなが驚く13という数字の中に込められているんだろうと思う。
そしてこれはオシム自身がはっきりと口に出している。
日程についてである。
メンバーを(当初)13人しか選出出来ない時期に代表の試合をやるなと。
代表の強化が目的の国際親善マッチじぇねーのかと。
一体何のためにやる試合なのかと。
スポンサーのためにやってんのかと。
言外の意図も含めれば、そういうことだ。
そうやって軌道修正を促される協会ってのも情けないよなぁ。
解任問題(会長の方) [ 日本代表 ]
川淵会長の解任要求についての言説が飛び交っている。
賛成、反対、両方の意見が賑やかに交わされているようだが、今回は私の意見を書こうと思う。
これまで川淵会長の責任に関してほとんど言及して来なかったことから
ある程度推測出来るかも知れないが、
各々の問題の責任は川淵会長に対して解任を要求するほどではないと考えている。
川淵会長に責任を問うべきだと私が思っているのは、ジーコジャパン4年間の代表強化についてである。
逆に言えば、それ以外のことは問題ではあるかも知れないが、解任要求するほどのことではないと考える。
機密の漏洩は、もちろん問題だ。
だが、当のオシムが失言という障壁を乗り越えて代表監督に就任してくれたのだ。
あの厳格で聡明なオシムが。
結果から言えば、解任を要求するほどの問題ではないと考える。
それから総括がないことに関しては、
技術委員会が出すテクニカルレポートを待てばいいんじゃないの、と思っている。
そんなにすぐは出来ない。
かなり詳細に分析するから。
Jリーグ軽視は、これも解任を要求するほどかな、というのが正直なところ。
一方最初に挙げた川淵会長の責任を問うべきジーコジャパン4年間の代表強化について、
(私は責任問題を追及するならこっちの方が重大だと思うのだが)
1段階ブレイクダウンして書き出すと以下の通り。
技術委員会のリストを無視し、横車を押して無能な監督を就任させたこと
日本サッカーの頂点たる日本代表のサッカーをビジョンなき結果至上のサッカーに堕し、
停滞させた監督を放置したこと
日本代表にスターシステムを導入するなど、スポンサー寄りに偏った運営を行ったこと
こんな感じ。
これらは1つ目を除いて、ジーコというド素人監督が代表監督の座に居たからこそだ。
代表を取り巻いている、強化から逸脱するという本来なら有り得べからざる状況は
技術委員会主導でオシムが代表監督に就任したことにより、改善されると私は楽観している。
長沼会長(当時)や川淵会長の横車がなく、技術委員会が相応の力を発揮出来れば、
方向性に間違いはないと信頼を置いているからだ。
この点について軌道修正が図られるのであれば、解任を要求する必要はない、そう私は考えている。
オシムの基準 [ 日本代表 ]
日本代表第1回スタッフ会議開催。
まずオシムが代表選考の際の見るべきポイントを挙げたそうな。
(1)メンタル
(2)技術
(3)コンディション
(4)戦術理解度
記事中に、
基準として4本の柱を挙げた。とくに熱弁をふるったのがメンタル面。そこでカンナバーロが理想像として挙げられた。とあるが、メンタルを第一に考えるあたりはオシムらしいと言える。
だが考えてみれば、上記の条件4つは代表に限らず選手に求められる基本的なことだろう。
しかし、あらためて日韓W杯以後を振り返ってみると、その基本的なことがないがしろにされていたのだ。
上記4つの中でジーコが重視していたのは(2)の技術だけ。
(1)のメンタルを言い換えると、どんな試合、どんな相手、どんな状況でも戦うということだろう。
ジーコジャパンも、たとえ負けたとしても、力を振り絞って戦ってくれさえすれば、
あそこまで脱力感を味わうこともなかったのにと思うし、
コンディションは無視、戦術理解度に及んでは、監督が戦術を掲げないから基準自体が存在しなかった。
いや全く異常な4年間だったことを痛感する。
理想の選手にカンナバーロを掲げ、体格では世界基準でなくても
そのほかのメンタル、技術、コンディション、戦術理解度を磨いて
世界に伍するサッカーという目標を明確にしたのは
体格を敗因に挙げた前監督へのアンチテーゼも(もちろんそれだけではない)込められている気がする。
凋落? [ 日本代表 ]
オシムジャパンの初戦、国際親善試合トリニダード トバゴ戦、
それに続くアジアカップ予選イエメン戦の先行電話予約が昨日あった。
私はずっとかかりっきりではなく合間を見て電話をかけていて、
発売開始から2時間後、12時過ぎにつながった。
代表戦はいつもカテ3で観ているが、その時には売り切れていた。
しかしつながったら即”完売アナウンス”が流れたわけではなかったので、
他のカテゴリーにはまだチケットが残っていたのだろう。
4年前のジーコジャパン初戦ジャマイカ戦の時はこんなものではなかったと記憶している。
今大会の不出来によって代表人気、ひいては日本におけるサッカー人気への影響が危惧されているが、
もう影響が出て来たのだろうか。
さすがにそんなわけはないか。
バブル的な人気は私の厭うところではあるが、やっぱりちょっと心配。