運営力 [ その他サッカー ]
富士スピードウェイで行われたF1日本グランプリが大変な修羅場になっていたようだ。
今回の惨状には遠く及ばないが、かなり規模を縮小したやつを私も体験したことがある。
2001年8月15日に行われたAFC/OFCチャレンジカップ2001
日本代表対オーストラリア代表於静岡スタジアムエコパである。
翌年に日韓ワールドカップを控えて、グループリーグと準々決勝合わせて3試合が予定されていたエコパでの
代表戦のシミュレーションとなった試合でもあったが、
46,404人を集めたこの試合の帰りは、徒歩20分弱の道のりに2時間を要し、
帰りのアクセスのあまりの悪さに、気の短い外国人がブチ切れるのではないかと多大な不安を残した。
だいたい以下のような感じである。
18:30 キックオフ
20:30 試合終了。スタジアムを出て徒歩で最寄りの愛野駅へ
22:30 愛野駅着。臨時列車で友人宅のある三島へ向かう
00:30 沼津駅止まりのため沼津で下車。もう電車がなくタクシーを拾う
01:00 友人宅着
徒歩20分のところに2時間もかかったのは、東海道本線の本数が少なく、
輸送力が不足していたために、駅への入場制限がされていたせいだった。
最寄り駅までの路上では、一向に進まない行列に苛立った観客が誘導の係員に罵声を浴びせて
それに腹を立てた係員が逆ギレする一幕も。
最初は単に行列が進まないことに対する腹立たしさだけだったのが、
時間が経つにつれて段々と、果たして家に帰り着けるのだろうかという恐怖に変わって行く。
目前に皓々と照らされる駅が見えるのに入れないというもどかしさが拍車をかけた。
私はあらかじめ静岡県内の三島にある友人宅に泊まる予定だったからまだよかったものの、
東京辺りに帰るつもりだった人は無事辿り着いたのだろうか
(21時過ぎに愛野を出ても新幹線を使えば普通に東京に帰れるので無謀な予定ではない)。
5月に行われたこけら落としの静岡ダービーではこの試合を上回る52,959人を集めていたが
大変なことになったというニュースはなかった。
近在のサポーターが大多数を占めていたために、最寄り駅への集中が避けられたのではないだろうか。
自国開催のワールドカップ前年の代表戦だけに、首都圏や関西から駆け付けるサポーターが多く、
東海道本線の利用に集中したのではないかと推測される。
夜の試合だったために終電までさほど間がなかったことがさらに助長させた上、
シャトルバスも積極的なアナウンスはされていなかった。
主催者は常に満員のスタジアムを目指す。
だがやっと訪れたその時は、主催者の運営力が試される時でもある。