今は、ただ、祈るだけ [ その他サッカー ]
J1首位を走る浦和に衝撃が走った。MF山瀬功治(22)が18日の新潟戦で負傷。19日、精密検査の結果うあー、左右両足で前十字じん帯を断裂。
左ひざ前十字じん帯断裂で全治5〜6カ月の重傷であることが分かった。
新潟戦の後半25分、ドリブルがトップスピードに乗ったところで相手選手と接触し、左ひざを痛めた。そのまま
うずくまり、担架に乗る直前には右の拳でピッチをたたいて痛さと、悔しさをにじませていた。02年8月には
右ひざ前十字じん帯を断裂して復帰まで8カ月かかったが、今度は左足。
痛過ぎる。
2001年のワールドユース選手権アルゼンチン大会では中心選手であり、
最も将来性を感じさせた山瀬は、3年後のオリンピックで最終メンバーに残ることが出来なかった。
その最大の原因は、疑いようもない、2002年の右ひざのケガである。
あのケガがなければ、今頃はどんな選手になっていたか。
そう想像せずにはいられない。
負傷の影響によりオリンピック出場の道が断たれたところまでは
似たような境遇を辿った選手に、ご存知の通り小野がいる。
1999年7月シドニー五輪アジア1次予選で左ひざ内側側副じん帯断裂。
シドニー五輪への出場はおろか、完全復活するまでに2年以上を要した。
ケガから5年を経て、今ではフェイエノールトのフリット監督に
「小野が負傷してフェイエの試合は終わった」と言われるまでになった。
幾人もの名選手がプレーした、オランダの名門フェイエノールトで
(小野一人のケガでガタガタになってしまうチームもどうかと思わないではないが。
やはりファン・ホーイドンクがいた頃にリーグ優勝できなかったのが痛かった)。
今季これまでリーグ戦、カップ戦合わせて7ゴールを決め、浦和の躍進を支えた山瀬。
長い雌伏の時を乗り越え、再びその才能が開花するかに見えた。
だが。
今は、4年後の北京オリンピックで、
小野と同じようにオーバーエイジとして文句なしに推すことが出来るように
山瀬の再度の復活を、祈るしかない。
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